蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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旅とわたし:宮古島(日本)

このエントリは『旅とわたし Advent Calendar 2016』の5日目です。

とてもよかったはずなのに、なぜか印象の薄い場所がある。もちろん、嫌な記憶があるわけではない。よかった記憶ばかりのはずなのに、なぜか印象が薄い。

誰かに「どうだった?」と聞かれれば、間違いなく「すごくよかったよ」と答えるのだ。それは嘘ではないし、確かによかったのだが、五感に残る記憶が薄いのだ。どうしてなのだろう。

今日のエントリは、南の島シリーズで最も印象が薄かった場所、宮古島である。

くもり空のビーチ

心当たりがあるといえば、宮古島滞在中、ずっとくもりだったのが一因なのかもしれない。雨天と曇天が続き、すかっと晴れた日がなかった。そのせいか、ビーチの写真もあんまり残っていない。

遠くまで続く浅瀬の美しさも、なんだかおぼろげにしか覚えていない。確かこのときはすこしだけ晴れ間になって、遠くの青がきれいに映えたのだった。この浜辺で遊んだはずなのに、波に足を入れたときの感触や温度を覚えていない。

遠くまで続く浅瀬

そのぶん、シュノーケリングで潜ったときのことは比較的よく覚えている。アクティビティの途中、ガイドさんに許可をもらってライフジャケットを脱ぎ、ぐぐっと潜ってスキンダイビングを楽しんだこととか。水面の温度とか、潜ったときの水圧とか、そんなものが皮膚感覚として残っている。

ファインディング・ニモが流行った後でもあったので、アクティビティツアーに参加している人たちはみんなカクレクマノミに夢中だった。もちろん自分もばっちり撮っている。

シュノーケリングで見つけたカクレクマノミ

五感で感じたことをあんまり覚えていない旅、というのがすくない。そういう意味では宮古島旅行の肌感覚の薄さは、自分の旅体験史上、特筆すべきものがある。

漁港や灯台を回ったり、岩場の景色を楽しんだり、美味しいものを食べたり。いろいろしたし、覚えているのだが、印象の薄さがどうしても際立つ。他の旅と、いったい何が違ったのかなぁ?

ダイナミックな景色の岩場

いちばんよく覚えているのは、宮古まもるくん。まもるくんに出会うとうれしくて、いちいち写真を撮っていた気がする。はじめて見たときはインパクトがあったなぁ。

宮古まもるくん

そんな宮古島に再訪したい理由は、なんだかあまりにも五感に残っている印象が薄くて、不安になるからだ。よかったという記憶だけはなんとなく残っているのに、肌感覚と一致していないというか。記憶と五感の奇妙な不一致を確かめに行きたいというのが率直な理由である。

ただ、ラッキーだと思う点もある。再訪なのに、初めてのような気分で訪れることができそうだからだ。そのとき自分はどんな気分で、何を感じながら過ごすんだろう? 思い出す感覚なのかな? 上書きする感覚なのかな? どうせなら、長めの期間、暮らすような気分で滞在してみたいなぁ。

旅は状態変化の連続である。次にその場所を訪れたとき、自分の状態がどう変化するのか。そんな味わいを楽しむ旅があってもいいよね。


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