蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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旅とわたし:タハア島(フランス領ポリネシア)

このエントリは『旅とわたし Advent Calendar 2016』の2日目です。

風景写真が苦手だ。切り取る範囲を瞬間的に決めるセンスがない。特に遠くまで開けた場所に立つと、何を写したらいいかわからなくなる。

2日目に紹介するタハア島は、先日紹介したボラボラと同じフレンチポリネシアの島。位置もボラボラにほど近い。ファアア空港からライアテア空港へ、ライアテア島からタハア島まではボートでアクセスする。

あまり縦位置の写真を撮らないのだが、タハアでの写真は縦位置ばかりだ。白い砂、青い海、どこまでも続く遠浅のビーチ。切り取り方がわからなくて、そわそわする。そもそもタハアでは写真をあまり撮っておらず、当時のメモを読み返すと、写真を撮る気が起こらなかったのだという。

透明度の高い海とごく小さな島

今こうして眺めてみても、当時の自分の気持ちがよくわかる。嘘くさい。写真が嘘くさい。確かにそこにいて、確かに撮った写真なのに、なんか嘘くさい。

景色を見て「グラビアみたい」という感想を持つのは不健康だと言ったライターがどこかにいた。とはいえ、今までグラビア以外の比較対象を持たなかった景色を目の前にすれば、そんな陳腐な感想を抱くものなのだなぁ。タハアはそれを教えてくれた場所。

遠浅の海とボート、遠くに見えるバンガロー

とにかく水の透明度が高い。ついつい遠くのほうまで歩いてみたくなる。ビーチから見ていると、水平線に人が立っているみたいな不思議な景色を見ることができる。夢中になって歩き続けてハッと振り返ると、自分が海の上に立っているような(ある意味それは間違っていないのだけれど)奇妙な感覚に襲われる。

一瞬幻惑にも似た感覚に捕われながら、ゆっくりとした動作で海に身体を沈めると、海と空と自分の境界が曖昧になっていくのを感じる。それぞれの境目は見紛うことなくくっきりとしているのに、どこか説明の付かないあやふやさに温かく包まれる。泳ぐわけでもなく海につかり、透明な水をすくってみては存在を確かめてみたりする。

海は驚くほどの透明度

ビーチから少し離れたあたりに、珊瑚が残るポイントがある。膝ぐらいの深さから胸ぐらいの深さまでが不規則に続く場所に、様々な種類の魚がいる。時間帯によって、また珊瑚の種類によって、集まってくる魚の種類が違う。鋭いトゲを持つウニもたくさんいるので、珊瑚の側に行くときは履物を忘れないようにしなくてはならない。

少し沖へ出れば、急にぐんと深くなるポイントがある。エメラルドグリーンとコバルトブルーの境目。色の境目を越える瞬間の驚きは、何度経験しても新鮮なものだ。

海に潜っても遠くまで見通せる

そんなおおらかな場所でのんびりしていると、時間の流れを忘れてしまう。遊ぶというテンションではなく、かえってひどく哲学的な心持ちになるのだ。何度も水をすくって確かめてみたり、海の中から空を見上げてみたり、数日後にはそこに自分がいないという事実を考えてみてはよくわからない気持ちになったり。

考えているのか、感じているのか、味わっているのか、いろんな感覚が混ざりあってわからなくなってきた頃には、すでにまどろみの中に落ちている。景色によく映えるハンモックは、午後のお昼寝の友だ。

浜辺に釣られたハンモック

ここから自分がいなくなっても、この場所はこんなふうに残り続けるのだなぁという不思議な感覚。どんな場所に行っても同様に思うことなのだけれど、タハアで感じた奇妙な感慨は、他のどの場所で感じたものとも違う特別なものだった。

再訪したい場所だけをピックアップする趣旨のこのアドベントカレンダー。タハアを再訪したい理由は、同じ景色が本当にまだ実在するのかを確かめたいから。私が見ている世界は、私がいるから存在する。私が見たタハアの景色も、私がまた訪れるまで不確かな存在だ。


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