蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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旅とわたし:チェンマイ(タイ王国)

このエントリは『旅とわたし Advent Calendar 2016』の18日目です。

前回紹介したバンコクに引き続き、今回はタイのチェンマイ。チェンマイは古い王国の首都で、今でもタイ北部の文化の中心と言われている。

国際カンファレンスに参加するために滞在したが、スケジュールの合間を縫っていろいろ見て回った。正直、チェンマイなら半年ぐらい居てもいいなと思いながら名残惜しく帰ってきたくらいだ。見所が多いというのもありつつ、もっと詳細にじっくり見たいものが多いという感じかな。

チェンマイ旧市街はとにかく寺院が多く、数歩歩けば次の寺院が見えるんじゃないかというくらい。すべてを回ることは不可能とはいえ、いくつかの寺院を拝観することはできた。

ワット・チェディルアンの黄金の仏像

タイは仏教国だが、日本の仏教観とはだいぶ違う。簡単に言えば上座部仏教と大乗仏教の違いということになるのだろうが、滞在時の感触からすると、もう少し複雑な違いがある気がする。私の場合は幼い頃から直接的に仏教(お寺の文化)に触れて育ったので、なんとなく違いを感じるのかもしれない。

他所の神様を取り入れていく過程に、日本の神社と似たようなしくみを見ることができるのもおもしろい。ただ、どうやらそれも日本のそれとは成り立ちがまったく違っているようなので、いつか時間のあるときに調べてみたい。

寺院の装飾なども、どうもヒンズー教の影響っぽいなとか、これはどうしてこういう文様なのだろうとか、いろいろ考えながら興味津々で見てしまう。もっとじっくり見て回りたい。

ワット・ラジャモンティエンの巨大な仏像

チェンマイでもボートクルーズをすることができた。ピン川という穏やかで大きな川は、下流でチャオプラヤー川になるのだという。チャオプラヤー川の景色を思い出して、なんともいえない気持ちになった。

街の中心部を離れると、川岸には静かに暮らす人たちの気配を感じることができた。何か採っている人、釣りをする人、日陰で休む人。遊歩道を早足で駆けてゆく若いお坊さんを見かけたりもした。

ピン川のほとりで涼むおじさんたち

チェンマイではトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーと、ソンテウと呼ばれる乗り合いトラックをよく利用した。特にトゥクトゥクに乗るのは心楽しくて、ただの移動がちょっとした冒険みたいな気持ちになったものだ。

滞在中、ほぼ毎日お世話になった運転手さんはいい人だった。初回に値切り交渉をして、その後も安く乗せてもらったが、最終日に近づくにつれ、ついついチップの量を増やしてしまい、最後の夜はかなり弾んだ額を渡してしまった。チェンマイでは、そんなやり取りもひとつひとつが楽しみだった。

毎日乗ったトゥクトゥク

タイの山岳部は、昔は阿片が収入源だったのだという。それをやめて違う産業をということで、コーヒーを作るようになった。最初は苦労したようだが、今はおいしいコーヒー屋さんがいくつもある。私はなぜかそういうストーリーに弱いので、それだけでスペシャルな気持ちでコーヒーを飲むことができる。

特にアカアマコーヒーは一度行ったら毎朝毎晩通ってしまうくらい素敵なコーヒーを飲ませてくれた。タイ北部の民族であるアカ族出身のオーナーが作ったカフェで、お店の名前はアカ族のお母さんという意味でアカアマというそうだ。

アカアマコーヒーのすぐ側に宿を取っていたこともあり、本当に何度も通ってしまった。だいたい全部のシングルオリジンを飲んだのではないだろうか。もしまたチェンマイに行くことがあったら、間違いなく同じ宿を取るし、アカアマに通う。それだけは間違いない。

Akha Ama Coffee

チェンマイに再訪したい理由は、気づけばもうここまで記事内でナチュラルに書き尽くしてしまった。おそらく、半年とか数ヶ月くらい滞在しないと満足できないくらい、たくさんの興味を残して帰ってきたので、もう今すぐにでも飛んでいきたい。

次はもう少し涼しい季節に遊びに行って、のんびりと歩く機会を作りたいな。バイクをレンタルして郊外の廃寺巡りをするのも企んでいる。直近の旅行なので記憶も鮮明だし、具体的にしたいことが多すぎる。チェンマイの記憶は、まだまだ思い出と呼べる温度ではないようだ。


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