蠍は留守です記

蠍の不在を疑わずに眠る暮らしの記録

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旅とわたし:函館(日本)

このエントリは『旅とわたし Advent Calendar 2016』の22日目です。

好きな作家の故郷であったり、作品の舞台であったりする土地には心惹かれる。前回紹介したリヨンはサン=テグジュペリの故郷だし、10日目に書いた小豆島は角田光代作品である『八日目の蝉』の舞台だと紹介した。

魅力的に感じる作品の舞台は、訪れる前から並々ならぬ思い入れがある。私にとっての旅は、現実世界と作品の虚構世界を行き来することでもある。

遊覧船からの景色

函館は私にとって、好きな作品の舞台としての代表格だ。函館出身の作家である佐藤泰志には、地元をモデルにした作品が多く、そのいくつかは映画化もされている。

しかもその映画は、函館市民を中心とした有志による製作実行委員会により制作されており、函館三部作と呼ばれる連作となっている。そんな映画の成り立ち自体も好ましく感じる。

いかのコンテナ

はじめて函館を訪れた理由は学会に参加するためだったのだが、映画の舞台になった場所をできるだけたくさん訪れたくて、あちこち歩いた。

函館は私の好きな景色のほとんどを持っている。水辺があり、山と起伏があり、坂が多く、市電が走っている。佐藤泰志作品では一瞬の夏の描写がとても印象的なのだが、私が訪れたのも夏の終わりだったため、たまらなくグッと来る景色がたくさんあった。

市電からの景色

造船所を舞台にした映画の景色が見たくて函館どつくへ行ったり、主人公たちが乗ったロープウェイに乗ってみたり、遊覧船に乗ってみたり。作品と現実の境目が曖昧になってしまうくらいに、作品の情景と現実の風景を重ね合わせながら歩く。そんな時間がとても心地よかった。

境目が曖昧になったまま、現実感が強まりすぎてしまう前に、帰る日がやってくる。だから旅はとても都合がいい。非日常を非日常のまま取っておけるから。

夜の市電

たくさんたくさん歩いて、たくさんたくさん食べた。食べるものがなんでも美味しくて、食べたらまたたくさん歩くことができた。

歩く。船に乗る。市電に乗る。食べることは生きること。歩くことは考えること。虚構としての作品を味わいながら、現実としての毎日を体感する数日間。訪れたきっかけが学会参加だったにも関わらず、自分の旅史上数本の指に入るぜいたくな時間を過ごした実感がある。

函館山から見る夜景

はじめての函館滞在で、函館の魅力を味わいすぎるぐらい味わいすぎた。暮らしたいかと言われると、そこはわからない。強まりすぎる現実感は、何かを損なう。しかし、再訪したいかと問われれば、間違いなくイエスだ。

また何度も何度も好きな作品を読み返したり観返したり、そうした後に再訪する函館は、自分の目にどんなに魅力的に映るだろう。

作品世界と現実世界を行ったり来たりする日々は、ただそれだけで旅の途中なのかもしれない。見知らぬ土地へ行くことだけが旅の手段ではなく、自分の心の中に、旅すべき場所ができていくのかもしれない。


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